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ギタリストで見るRed Hot Chili Peppersの遍歴

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去年(2016年)日本最大のロックフェス「フジロック」で、ヘッドライナ-とて演奏したRed Hot Chili Peppersレッド・ホット・チリ・ペッパーズ)。

 

1983年に結成され、今なお新しいアルバムを出し、ライブやツアーをやり続けている彼らについて書こうと思います。

 

彼らは、ただ長く活動しているだけでなく、常に新しい世代のファンを作り続けているのが最大の特徴です。彼らの最初期は、ロックバンドにラップやファンクを持ち込んでしましたが、どちらかというとただ騒がしい、けど面白いといった音楽でしたが、活動を重ねるうちにそういった要素だけでなく聴かせる曲も増えていきました。

 

そんなRed Hot Chili Peppersのメンバーですが、ヴォーカルのアンソニー・キーディス、ベースのフリーは結成時から変わりません。ドラムは1989年から参加しているチャド・スミスですが、彼も加入以降そのままずっとメンバーです。しかし、ギタリストは大きく5回変わっています。

 

今回はそのギタリストに焦点を当ててRed Hot Chili Peppersの音楽の遍歴を紹介したいと思います。

 

Me And My Friends

この曲の時のギタリストは、ヒレル・スロヴァクです。

彼はアンソニーとフリーの昔からの親友です。

Red Hot Chili Peppers結成時のギタリストですが、諸事情により1枚目のアルバムには参加できず、2枚目のアルバムから参加しています。

この「Me And My Friends」は1987年のアルバム「The Uplift Mofo Party Plan」の曲ですが、Red Hot Chili Peppersのほとんどのライブで今でも演奏される重要な曲です。

次々繰り出されるリリックは、バンドメンバーについての内容で、「Bob」はフリー、「Slim Boy」はヒレル、「Jacky」は当時のドラムを指すようです。

Red Hot Chili Peppersのサウンドの基礎を築いたヒレルですが、1988年薬物中毒により突如この世を去ります。

 

Give It Away

ヒレルの後任のギタリストとして、Red Hot Chili Peppersの熱烈なファンだった当時19歳のジョン・フルシアンテが加入します。

彼の加入後、Red Hot Chili Peppersは急速に売れ出します。

そして、よりファンキーであると同時にロックである事を追及し制作された、1991年のアルバム「Blood Sugar Sex Magik」が世界中に大ヒットしひとつの頂点に達します。

この「Give It Away」はそのアルバムに収録された曲で、先に上げた「Me And My Friends」同様今でもほとんどのライブで演奏されています。

しかし、若くして大成功を収めた事によりジョンの精神は不安定になってしまい、日本ツアーの途中で突如脱退してしまいます。

 

Aeroplane

ジョン・フルシアンテの後任探しは難航しましたが、Jane's Addiction(ジェーンズ・アディクション)のギタリスト、デイブ・ナヴァロに決まります。

彼と制作した「One Hot Minute」は、「Blood Sugar Sex Magik」と比べるとサウンドはより磨きがかかっているものの、爆発力が足りず、またデイブのギタープレイについても否定的な意見が多く、思ったより売れませんでした。

結局デイブ・ナヴァロはこのアルバムで脱退します。

しかし、Red Hot Chili Peppersがベスト盤を出す際は、このアルバムの中の曲「Aeroplane」が収録される事が多いのです。

このゆったりとした、イメージが広がるサウンドはRed Hot Chili Peppers屈指の心地よさがあります。余談ですが、最後の子供の声のコーラスはベ-スのフリーの娘とその友達だそうです。

 

Dani California

デイブ脱退後、またもや後任のギタリスト探しが難航しますが、デイブの前のギタリスト、ジョン・フルシアンテが電撃復帰します。

これには多くのRed Hot Chili Peppersのファンが歓迎しました。

ジョン・フルシアンテが、シンプルで、それでいてアイディア溢れるプレイをした1999年のアルバム「Californication」が爆発的ヒットを飛ばし、過去一番売れた「Blood Sugar Sex Magik」を抜き去ります。

その後「By The Way」「Stadium Arcadium」の2枚に参加。

この動画「Dani California」は「Stadium Arcadium」からのシングルカット曲で、日本では映画「デスノート」の主題歌として使わました。

ベース、ドラムは基本控えめなものの爆発力は健在で、アンソニーのヴォーカルも、より「アンソニー節」が顕著な、Red Hot Chili Peppersらしい素晴らしい楽曲です。

しかし「Stadium Arcadium」のツアー終了後、ジョンは再び脱退してしまいます。

 

Sick Love

後任のジョシュ・クリングホッファーは、元々ジョン・フルシアンテと交流があり、「Stadium Arcadium」のツアー後半からサイドギターとして参加していた経緯があり、割とすんなり決まったようです。

ジョンより10歳若い彼は、より若い世代からの支持が絶大で、Red Hot Chili Peppersは彼の加入によりさらに新しい世代のファンを多く獲得します。

また、彼がギターを弾くことによって、ジョン・フルシアンテ時代はプレイできなかった「One Hot Minute」時代の曲もライブで聴けるようになりました。

この「Sick Love」は2016年発売されたアルバム「The Getaway」の曲で、レイドバックなサウンドとエフェクティブなギターが特徴です。

派手さはありませんが、流石Red Hot Chili Peppersと唸らせる素晴らしい楽曲です。

 

まとめ

不運にもギタリストが何度も変わらざる得ない状況で続いていたRed Hot Chili Peppersですが、逆にそれがそれぞれの時代の色を与え、いつでも新しい世代のファンを獲得することに結果的に繋がっているのではないでしょうか。

 

この中でもしピンとくる曲があれば、その時代の楽曲を聴いてみて下さい。